*  空・雲・海  *

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昨日は、まる一日、日課を離れて、家を離れて、海を目指した。

ここ数日、日課をこなすモチベーションが枯渇しているのを感じていたので、ここは、一度お休みをして、エネルギー補給の一日にしよう。山にずっと籠っていたので、ここは、海まで一気に突っ走り、日々に蓄積されたもののガス抜きだ。ガスを抜いて、気持ちのスペースをつくらねば。そして、海に浸かりたい。ここ最近、パソコンに向かう体がとてもしんどくなって来ていたので、体に蓄積された電磁波を海で流したい。

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前日の晩から、海への想いは募っていたのだが、天気予報を見るに「台風の影響で荒れ模様になるでしょう」とのこと。「海は、もうしばらくのお預けか」と眠る。

朝起きれば、空に満点の星空。

よし、これなら大丈夫、

ぼくの、海への気持ちの波は、今朝が最高潮!

海へ行こう。

ヘッドライト照らしてサーフボード車にかつぎ込み、さあ、出発だ。

(友人に今朝の経緯を話したら、「朝起きて、星空がキラキラ見えるって、それ、朝なの?」と驚かれ、なんだか、なるほどと思う。)

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四万十川添いに車を走らせる。

ぼくは、運転中に、とてもよいアイデアがたくさん浮かぶ。

車窓に流れていく景色の動きにリラックスして、脳波に変化が起きる。

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(四万十の道は、信号が全くないものだから、ひたすらに一定速度で、絶景の中を走って行く。この一定のペースが、脳波を別の状態に導いていくのに大きな要素になっていると思う。街の、信号や交通量の多い道だったら、どうだろうか。景色も大事な要素だが、街を車で走っていたり、電車に乗っていっても、その窓の向こうの情景に人々の営みを感じ、その愛しさに、どうしようもない多幸感に包まれる瞬間がある。電車は一日の時間帯によって、その進行速度に影響を受けないので、車の運転においてのその瞬間を思い返して見ると、夜の道が多いことに気づく。街の夜の道は、日中に比べたら、信号、渋滞にはまることなく、圧倒的に走りやすい。ということは、ぼくにとっては、一定のペースというものが、ゾーンに入って行くためのより重要な要素である。音楽もゾーンへと、導いてくれる。景色で重要なのは、その明るさか。朝焼けや、夜にこの状態になることを思うと、暗がりの外の照度は、内側に意識を向けやすい。)

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リラックス状態の脳波は、無意識にテンションが入っていた思考をときほぐしていき、一つ一つの感情・考えを、新しい位置へと並べ替えていく。そのおかげで、考え・感情に対して、より多面的な考察が生まれる。その作用によってもたらされる、新たな気づき。

体と同じく思考もやはり、日々の行為によってテンションがかかり、滞りが生まれているのだな。

ぼくが定期的に海へ行きたくなる衝動には、この朝焼けのドライブの脳波の状態への渇望も、含まれているだろう。

大切な時間だ。

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海へ向かうその気持ちは、小さなその頃と、何も変わらない。

海の気配が近ずいてくるにつれ、こころ、高鳴って行く。

海へ最後のひと走りは、もう待ちきれず、海と自分を結ぶその手綱を、自らの手で手繰り寄せている気分だ。

空が広い

いつも山の向こうに隠れてしまっていた、空と海・大地が出会う場所が見える

そして、見事な雲だ

台風の低気圧の影響か、見事な雲だ

この雲に空を見れただけで、海に来てよかったと思う。

海に来ると、いつだって、海に来てよかったと思う。

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ここ最近、毎日、風景画を描いている。

きっかけは、坂口恭平氏のパステル画と、出会ったことだ。

インターネット上のパソコンの画面を通して、不意に出会ったその絵だが、ある意味で、こんなにも絵に感動したのは、人生ではじめてのことかもしれない。

それは、その感動の先に、自分も絵を描きたいという気持ちが湧いてきたこと。

敬愛する・星野道夫氏の本にある、ある一節を思い出す。

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「心が震えるほどの素晴らしい自然を見た時に、きみはそれをどうやって大切な人に伝えると思う?」

「ぼくが文章を書くのが上手であれば、その感動を文章にして書くと思う。ぼくが絵を描くのが上手であれば、その感動を絵にしてぼくの大切な人に見せてあげたい。」

「うん、一番のその感動を伝える方法は、自分自身が変わることだと思う。」

いま、ぼくの日々の営みに変化が起きて、毎日、絵を描いている。

これが、ぼくの感動の大きさの、証明だ。

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風景画を描くようになって、もう、今まで見えていた景色が全くに異なって見える。

もう、車窓の向こうに見える景色は、美術館の優れた絵画が一枚一枚スライドで流れていくようであって、その美に、感動の連続である。

これは、ものすごい、娯楽を教えて頂いたものだ!

絵を描くのは小さい頃から好きだったし、憧れもしたけど、習慣的に絵を描くことは、人生で一度もなかった。もしかしたら、小学校からの苦手意識の影響が大きいのかもしれない。小学校の写生教室では、えんぴつでの下書きは気持ちよく書けるのに、水彩絵の具の使い勝手がわからず、そこで、いつも絵を台無しにしてしまっていた苦手意識が、色を使うことにあった。なので、その後は、自分で絵を描きたいと思っても、スケッチのような白黒のペンを使ったものしか、描いたことがなかった。

今、色を使って絵を描いていること、そして、それがとてつもなく楽しいこと。

そのことに、苦手意識からの解放の大きな喜びを感じている。

そして、目に映る景色はこんなに美しかったのか、と慣れしたしたんだものへの、新たな発見の喜びに満ちている。

慣れ親しんできただけに、驚き大きく、感動が大きい。

「何かを、自分の手で少しでも、やってみる」

これは、物事を楽しむ、極意だと思う。

川に飛び込む前と、飛び込んだ後の景色は、全くに違う。

より川を楽しみたかったら、離れて見ているより、やっぱり、その流れに身を浸してみなくては。

水の流れを直接肌に触れれば、多くの感覚生まれてくる。

流れに耐えたり、冷たく身を縮こめたり、魚が足の指を突いたり。

その一つ一つの感覚に、より、多くの感情が生まれくる。

感情、つまりは、感動だ。

感動するこころは、止まっていない。

日々の、生きる推進力だ。

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海への一日

感動の多さのあまりの、投稿写真の枚数の多さである。

休息の一日

感動いっぱいいただきました!

さあ、感動を活力に、日々の変化に転換です。